京都に1年住んでみて考えたこと。誰がテーマパーク化したのか?

備考
2020年10月2日更新しました

社会人1年目、京都に住んでいた

 京都に1年間住んでみて、「制服ディズニー」的な、テーマパーク化した京都に違和感を覚えることがあった。

 若い観光客が、浴衣か着物か分からないような安っぽい和服で八坂神社あたりを歩いているのは見苦しいし、プーさんのハニーハントに並ぶように、清水寺や高台寺に並んで「わーきれい!パシャッ!」と写メ撮って素通りするのも勿体ない。もちろん若者に限ったことではなく、古寺で落ち着いていると、オバンの集団が「この静寂がいいのよね!」と騒いでいたりもする。

 各地で聞く「やっぱり京都はいいよね」にも抵抗感があって、「京都の何がいいのか言ってみろ」と聞き返したくなる。本屋に行くと「あなたの知らない京都」みたいな京都本が並んでいて、「お前は京都の何を知っているのだ」と、やはり聞き返したくなる。無条件で「京都=すばらしい」みたいな思考停止は、結局ゆるぎない京都に自分の価値観を任せて、安心したいだけじゃないか。

 桜にしたって、別に京都の桜が何か秀でているわけではなく(本数は多いだろうけど)満開だけが素晴らしいわけではないはず。一番イヤなのが「××寺の桜が見ごろ」という情報で、見るべき時期まで、どうして他人に決められなければいけないのか、と思う。普段歩く道にある、有名でも何でもない桜の、つぼみがだんだん膨らんでいるのを見て、「もうすぐだねぇ」と思えるような、そういう素朴な喜びのほうが素敵だし、自然じゃないか。(某寺住職いわく、その余裕すらないことが、都会人の可哀想な部分らしい)

 「そうだ京都行こう」「伊右衛門」で描かれる理想的なイメージよりも、もっとシンプルで普通の都市なんじゃないかと、1年間住んでみて思う。あと1週間で引っ越すけど、また京都を訪ねた時に、この気持ちを忘れずにいられるだろうか、なんてことを考えたりする。

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