「映像の世紀」でアメリカ移民の視点を追体験したくなりマンハッタンの簡易宿泊所に泊まった話

「それはマンハッタンから始まった」

カギはとてもプリミティブだった

NHKで「映像の世紀」が再放送されている。1920年代のアメリカを舞台に、繁栄の極みから世界恐慌の奈落の底まで、時代の光と影を生々しく描いた第3回「それはマンハッタンから始まった」は特に好きなんだけど、数年前にニューヨークへ行った時、20世紀初頭にマンハッタンに上陸したアメリカ移民たちの感覚を追体験してみたくて、1924年に建てられたドヤ街の簡易宿泊所(現在はリニューアルされてホテルとして供用されている)に泊まったことがあった。3畳ぐらいのスペースだった。

スラム街だったニューヨークのBowery地区

レンガ造りの建物が並ぶ

泊まったのはBowery(バワリー)という古い地区。タイムズスクエアにポジションを奪われるまでは、マンハッタンのメインストリートだったそうだが、1940年代~90年代はスラム街に近い状態だったらしい。幽霊が出そうな古い建物で、きっと1929年の世界恐慌で夢破れたホームレスやアルコール依存症者なんかが収容されていたんだろうなあ…と。第二次世界大戦後は帰還兵が一時的に泊まっていたこともあったらしい。部屋は改修されているらしいけど、格子越しにこの天井をどんな人々が見ていたのか、寝る前に思いを馳せた。他の宿泊客のいびきが響いて、耳栓をしないと寝られなかった。

あるイタリア移民の手記

イタリア人街のイルミネーション

この地区は、最近は若い芸術家などが移り住むようになり、カジュアルな街に生まれ変わったらしい。歩いて数分のところにイタリア人街があり、「私がアメリカに来たのは、この国では道に黄金が敷き詰められていると聞いたからでした。しかしここに着いて三つのことを知りました。まず第一に道には黄金など敷かれてはいないということ、次にそもそも道はまったく舗装されてさえいないこと、そして最後に気付いたのはこの道を舗装する役目は私に課せられているのだということでした」という番組内のセリフに思いを馳せたりした。

なぜニューヨークは移民の街なのか?

マンハッタン島を海からのぞむ

ニューヨークは、19世紀後半から20世紀中盤までの約60年間、ヨーロッパからの移民にとっての入り口だった。自由の女神の近くにある「エリス島」に、入国手続きのための移民局の施設が置かれていた。アメリカ人の5人に2人がこの島を通ってきた移民を祖先に持つと言われているとか。入国審査は名前や所持金など29の質問に答えればよかった(映画「ゴッドファーザー2」にこの描写がある)のだが、病気を持っていると隔離されたり、強制送還されたりしたこともあったらしい。無事に入国できた移民たちがまず上陸したのが、ここニューヨークだったというわけだ。

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