やはり自分の人生観はサケで培われた気がするのだ

実は道産子なのですが

 幼稚園年少(6歳)の途中まで北海道に住んでいた。

 とはいっても、なつぞらみたいに長閑なエリアではなく、空港のある千歳。観光で行った人もいるかもしれないが、近くにサケをテーマにした水族館がある。オープンしたのは1990年代で、当時幼稚園児だった。親に連れられ、サケの一生のショートムービーを見た。

ドラマティックなサケの一生

 サケは故郷の川で生まれると、4cmほどの小さな体で海へ旅立つ。他の川の仲間とともにオホーツク海からアリューシャン列島に沿って北太平洋へ向かい、4,5年かけて70cmまで大きくなる。産卵期を迎えると、生まれた川に帰ってきて、目的を果たすと力尽きるまで卵を見守り、そして死ぬ。

 この壮絶なサケの一生に引き込まれた。どれぐらいかというと、幼稚園の教室の床に横たわって「息絶えるサケの真似」をやって先生の反応を困らせるぐらいには、憑りつかれた。図書館で魚の図鑑を借りては、サケのページだけ読み込んで、母いわく当時は学名まで暗記していたらしい。

 最近の研究では、サケが故郷の川に戻る確率は95%だそう。どうして故郷が分かるのか。川を流れるアミノ酸などの成分はそれぞれ異なり、嗅覚の優れたサケは区別できるらしい。とにかくそんな理屈を抜きにしても「故郷を忘れずに帰ってくる」ストーリーから、当時子どもながらに何か大切なことを学んだ。

自分が縁のあった土地に定期的に尋ねる理由

 以降、人生の転換点が訪れるたびにサケと自分を重ねる。父親の転勤で神奈川に引っ越した際には、当初環境になじめず「淡水から海水に順応するサケ」を思い出した。大学を卒業して会社に入ると、研修後に全国へ散り散りになり、「自分はいま放流された稚魚だ」と思った。運のいいサケだけが本社に戻ってこられる。途中ヒグマみたいな上司もいるわけだ。

 そんな冗談はさておき、やはり自分が縁のあった土地を定期的に訪れるのは、こういう習性に学んだところが大きい気がする。匂いではないが、かつての通学路など歩いてみないと思い出せないあれこれがあり、そういった「タイムカプセル」を掘り起こすことで、自分自身が何者なのか、アイデンティティを再確認する。

 祖父の十三回忌で札幌に弾丸帰省した折、帰りに千歳に立ち寄って少し散歩して、そんなことを考えたのだった。

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