「大人になる」とはどういうことなのだろう?

グリコの「25年後の磯野家」CM

 10年ほど前にグリコが新製品を出した際に、「25年後の磯野家」というテーマでCMを打って、法事で集まったタラちゃん(瑛太)とイクラちゃん(小栗旬)と久しぶりに話したワカメ(宮沢りえ)が、グローブとバットを背負った35歳のカツオ(浅野忠信)を見て、「あ、大人になってる」とハッと気づく、という描写があった。

 あと5年で自分もその年齢になってしまうけど、この「あ、大人になってる」という気づきが、最近増えた気がする。年末年始に懐かしい人々に会ったり、あるいは出身サークルの現役生と話したりする機会があり、帰りの電車や、二日酔いになった朝に、自分自身が「まだ大人ではなかった」時のことを思い出したりした。

 広告、という観点で考えると、このCMが流れた2008年の30代というのは、いわゆる団塊ジュニアで、人口的にも層が厚く、渋谷でガングロになったりアツゾコを履いたり、世代で一文化、一時代をつくることができていて、ずっとマーケティング的なターゲットになっている。

平成世代はどう大人になるのか

 では、自分たち平成1ケタはどうなのかといえば、生まれてからずっと不景気で、リーマンショック後の就職氷河期でメンタル的にも人生を守りに徹してきたので、消費意欲に乏しいとされている(らしく)、街中で流れるデジタルサイネージなどを見ていても「これは自分がターゲットだ」と思えたことが、なかなかない。

 特にテレビCMに関しては、いまや最大のターゲットは、一線退いた団塊世代と、お願いしなくても勝手に消費してくれるバブル世代で、カネも時間も余裕があるので、「若い頃にできなかったこと」をいま実現させるという趣旨で、アクティブに生きていくことを世の中が後押ししている感すらある。

 おそらく、そういう世の中の後押しも、「見放された世代」の自分たちにはやってこない。平成1ケタはこれから何が楽しくて生きていくのだろう?と思ったりする。終身雇用は終わったのに、給料は年功序列が続いていて、今もカネがないし、自分がシニアになった頃には、その会社が存続する見込みもなく、結局カネがない。払った年金もきっと戻らない。

 なんて暗いことを長々書くと、3連休ヒマなのがバレるので、そろそろオチにつなげたいのだが、アラサーを迎え、大企業に勤めて一生安泰、みたいなのが幻想だと気づいて「自分の好きなこと」を始める人々が現れ始めたのが、何かこの世代のヒントになるような気が、最近している。例えば同世代で、バーやカフェを1日貸し切って、マスターやママを始めたりしている人が急に増えているところに興味がある。

 そういう人々をとりあげる、平成1ケタの「人生の探し方」をまとめたようなメディアがあるようで(見放された世代なので)あまりない気がしていて、作ったら楽しいんじゃないかなぁ、などと思ったり。東北を鈍行列車で旅しながら、乗り換えの駅で、吉永小百合の「大人になったらしたいこと」のポスターを見かけたのを思い出して、成人の日を前にそんなことを考えた。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です