甲子園とはどういう場所なのだろう? 映画「KANO」の地で思ったこと

毎夏、高校野球を見ていて思うこと

 高校球児がめざす「甲子園」というのは、本当に兵庫県西宮市にある「阪神甲子園球場」を指しているんだろうか?

 「ほかに甲子園があるのか」と突っ込まれればその通りなんだけど、負けた球児のインタビュー記事を読んでいると不思議なぐらい「仲間と甲子園に行きたかった」「やはり甲子園は遠かった」などと台詞が返ってくるのだ。

 将来野球で生きていく覚悟のある人で、全国出場の可能性がある実力校の選手の話なら、まだ分かる。だけど、実際はえげつない点差でコールド負けした学校や、長らく初戦突破から遠のいているような学校の選手でも、同じように言う。

 引退が決まり、感極まっている状態の球児に「本当に甲子園めざしてたの?」なんて口が裂けても聞けないけど、それとなく尋ねると「無条件で甲子園を目指すものなんです」と言う。なんで無条件で甲子園を目指さなければいけないのか?

 これがもし受験勉強で、偏差値30のやつが「東大に行きたい、行きたかった」と言おうものなら「身の程知らずだ」「東大しか知らないのか」などと責められそうだし、やはり弱い学校のサッカー部員が「国立に行きたい」と言えば、いろいろ諭されるに違いない。なのに、野球部員は甲子園をめざすのを許されている。

台湾のあの場所に行ってみた

 昨年公開された台湾映画「KANO」が印象に残っていて、台湾が日本統治下にあった1931年、全国中等学校野球大会(夏の甲子園)に出場した「嘉義農林(KANO)」の選手たちを描いているのだけど、スパルタ監督のもと、行ったこともない見たこともない「甲子園」の名前を叫びながらランニングするシーンがある。

 指導者が「部活を頑張らなければいけない理由」を説明するのが難しかったり、面倒だったりして(手応えを感じるレベルに達するまではがむしゃらに頑張らなければいけないのかも)、とにかく分かりやすい「一番大きな目標」として「甲子園」があったのではないか、それが慣例化するうちに「無条件に目指すもの」だったり「憧れ」の代名詞に変わっていったのではないか。

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