深夜まで残業していたら
第2回は世界一周へ出るきっかけとなった事件について書きます。汚い内容が入りますので苦手な方はお気をつけて。
◇
23時すぎまで残業していた4月のある日、職場のトイレでふとウ○コを見たら、なんかうどんっぽいものが刺さっていたのです。消化不良だろうか、というかそもそも論として
「24時間以内にうどん食べたか?」
と思って10秒ぐらい見つめていたら、うどんがウ○コに吸い込まれていくじゃないですか。
「ウ○コが生きている」
いや冷静に考えて、ウ○コが生きているはずがないので、動いたのは相対的に、うどんということになります。半ばパニックになって流してしまい、地下鉄のホームで青ざめて、ウ○コの話をしても引かないでくれるだろう長年の友人に電話したら、
「もうお前の家にはいかない」
と言われてしまったので、医学部に進学した別の友人に、119番とかを呼んだほうがいいか相談をしたところ、
「救急外来は命にかかわらなければ帰らされてしまう」
と冷静な助言をもらいました。その夜はほぼ寝られず、早朝からやっている外来を探して、都内の大学病院に行ってみました。

「今日はどうされましたか?」
笑顔の総合受付のおばさんに、虫が出ましたと伝えると表情がかわってどこかに電話をされました。感染症科を案内されて、初診なので1時間ほど待ちました。
「写真、とりました?」
まず医者にそう聞かれ、怖くなって流してしまった旨を伝えると、そうですよねとフォローされ、その場で寄生虫の写真の一覧みたいなものを広げられて
「どれに似てました?」
という質問に。これですかねえ、と指さしていくと候補が定まったらしく、虫が判明しないと薬も決まらないそうで検査しますと。要するに検便をするのですが、ふだん健康診断で入れるマッチ箱サイズのやつじゃなく
「この容器に入れてください」
と配られたのは、機内食のアイスクリームぐらいの容器。もう不安なのでなみなみ入れて、1週間結果を待つわけですが、これが生き地獄で、意識すればするほど、お尻に何かがいる気がするのです。
「寄生虫だって?大変だな!」
広告会社という仕事柄、デリケートな話を面白い方向にもっていこうとするのか何なのか、上司が大きな声で話しかけてくるので、アナ雪のエルサじゃないですが、「Well, now they know(もうみんな知ってしまった)」と開き直って職場で話したものの、心なしか距離を感じるわけです。派遣の女の子とか目も合わせてくれない。
「何の寄生虫か分かりませんでした」
医者の言っている意味が分からない。1月にミャンマーに行ったので、変なやつをもらった可能性はあります。でも先生、ここ大学病院でしょう、そんなこと言わないでください、頭がおかしくなりそうなんですよ、と涙目で話したら
「国立感染症研究所に診てもらいましょう」
今度は虫だけを容器に入れてくださいと言われ、多目的トイレで、割りばしを使って小一時間さがすことに。正気を保つために(日本はお箸の国だけど、欧米ではどうするのだろう)みたいなことを考えながら、割りばしで虫をつまもうとすると逃げるのです、こいつが。
「もし新発見の寄生虫ならお前の名前を付けられるんじゃないか?」
広告会社の先輩たちは相変わらずこんな調子です。小惑星や彗星じゃないんですよ。それに普通に考えたら発見者の名前でしょう。どうして面白い方向に持っていこうとするのか。とりあえず精神的に極限状態ななかで出勤して1週間後、また大学病院へ行ったのです。
自分のお腹に得体のしれない、大学病院でも分からないような虫がいる、というのがおそろしい。国立感染症研究所って、野口英世や北里柴三郎が研究してたらしいじゃないですか。「そんな施設に運ばれるものをお腹で飼っているのか」と考えると寝れないわけです。

「もしかして死ぬのではないか」
ついに30歳になり、見たいものは人生で見て来られたような達成感もあったのですが、虫が脳のほうに行くとヤバい、とネットの文章を見た途端、やり残したことがいろいろ浮かんで、週末に夜行寝台に飛び乗ったのだけど、行き先が高松だったわけです。
「うどん県にようこそ」
きっぷを買った時には想定していなかったことで、おかしくなりそうになる中で、江国滋の「おい癌め酌みかわそうぜ秋の酒」を思い出して、どうせなら景気づけに食らおうと、メニューのカレーうどんのページを避けながら、別のうどんを頼んで、結果的にこれがすごく美味しかった。
検査の結果、脳に行くものではないと分かったので安心したのですが、入院しないといけないらしい。さらにウ○コにいるのは子どもでしかなく、わりと育っている親玉が自分の腸にいるらしい。
「連休明けに入院できますか?」
と医者に提案されたのですが、中途半端にちぎれると1匹が2匹になるらしく、ミャンマー由来だとすれば、もう4か月経っていて、さらに10日間も放置できないのでGW中に駆除してもらうことに。
お腹を切り開くようなオペをするのかと思っていたのですが、寄生虫は腸に貼りついているらしく、浸透圧をおかしくする下剤を飲んで気絶させ、別の下剤を飲んで、一気にお尻から出すらしい。つまりナメクジに塩をかけて弱らせるのと同じです。

前日から食事制限をして、胃腸をからっぽにしました。処置当日になって、個室に簡易便器が用意されました。要するにおまるのことです。こういう処置に限って、看護師さんがすごく若くてかわいい人なのです。
「この人に全部見られてしまうのだろうか?」
結婚すらまだしていないのに、身ごもってしまい、この仕打ちです。気絶した寄生虫を押し流すための2リットルの下剤を飲んで、液体が下ってくるまで小一時間待ちます。さっきの看護師さんが「できるだけ我慢してくださいね」と、優しく声をかけてくるじゃないですか。思わず友人にLINEしました。

大学病院という特性上、「医学の進歩のために学生が立ち会うことがあります」みたいな書類にサインさせられ、白い巨塔の財前教授の総回診のように大勢に見られるのを覚悟したのですが、連休に入っているせいかスタッフが少なかったお陰で、そういう事態は避けられました。
ただ、目をキラキラさせた若い医局員がきて、麺を湯切りする時のようなザルとともに、簡易便器を持っていきました。洗浄されてガラスのビーカーにおさめられた寄生虫は、きしめんのように縮れていました。最終的に、無鉤条虫というサナダムシの仲間だったことが分かりました。
2週間後に、虫が体内に残っていないかどうか血液検査をして、無事に完治。先生が言うには生肉由来の虫で「やはりミャンマーでもらったのでは」ということらしいです。さすがに海外で生肉に挑戦することはあり得ないので、いまだに何が原因だったのか不明です。
◇
この寄生虫事件の入院中、短い期間に相次いで友人が見舞いにきてくれました。人生で本当に大切なものは何で、何のために生きるのか。やり残したこと、もっと話したい人たちの顔が浮かびました。同時に、入院前に「仕事はどうするんだ」と聞かれた職場では、もう働くのは難しそうだな…と思うようになり、病院のベッドで消灯後、ビズリーチに登録しました。
もしこれが不治の病だったらと思うと、いてもたってもいられない。おおげさに言うと、人生観、仕事観がもう元に戻せない形でがらっと変わってしまったのだと思います。30歳の節目でもあり、人生が一度しかないのならばということで、かねてから憧れていた世界一周の旅に出ることにしました。
次回からは、世界一周に向けた、具体的な準備について書きます。せっかちな人は出発当日に飛んでください。
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