世界一周に出た経緯
第1回は、世界一周に出た経緯について書きたいと思う。
大学卒業後、新卒で入った築地のメディア会社から、赤坂の広告会社に転職した。「どうしてもっとブラックなところに入ったのだ」と突っ込まれるかもしれないが、汐留の件もあって、業界全体で風通しがよくなっているという噂を聞いていたのだ。
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もちろん、噂なんて無責任なもので、待っていたのは毎日終電近くまで働くブラックな日々。さらに追い打ちをかけるように基本パリピ(ワイワイにぎやかに生きる陽気な人々)な社風についていけず、嫌気がさしていた2019年正月、ボロボロのメンタルで癒しの原風景をもとめてミャンマーを訪ねた。
ミャンマーでもらった「おみやげ」
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ミャンマーは景色もきれいで、人々も温かく、食べ物も美味しく、本当に素敵な場所だった。ところが正体不明の寄生虫をもらい、帰国後に大学病院の感染症科に入院する羽目に。「治療」と称して、隔離病室で2リットルの下剤を飲み、5メートルに育ったムシが自分の尻から出てきたことで、大げさに言って人生観が180度変わってしまった。
死ぬんじゃないかという状況で、上司に「仕事とどっちが大事なんだ」などとモラルもヘチマもないことをネチネチと詰められたことも相まって「こんな働き方を続けても幸せになれない」と思い、30歳の節目に大学卒業以来6年続けてきた働き方をやめて、残りの人生は自分自身のために生きたいと考えるようになった。
再び転職活動をしていた今夏、マーケティング職にご縁があり、前職の有給消化と含めて2か月弱のモラトリアムをもらった。そこでかねてから温めていた「世界一周」の計画を、40日間で実行に移すことにした。
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次の記事では、ミャンマー帰国後の寄生虫事件の顛末について書きます。(つづく)
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