トランジットビザでモスクワ半日観光【世界一周5日目】

あらすじ
初めまして、太郎と申します。2019年秋、30歳の節目に会社を辞めて世界一周してきました。今回はモンゴルからトランジットで半日滞在したロシア・モスクワの記録です。(2021/01/09更新)

ウランバートルからモスクワへ

ウランバートル、朝4時。スマホのアラームで目を覚まし、熱いシャワーを浴びて身体を起こし、4時半に予約していたタクシーに乗った。ホテルの朝食は7-9時なので食べられなかったが、ホテルが代わりのサンドイッチとゆで卵を用意してくれて、出発時にもたせてくれた。

チンギスハーン空港に着いたのは5時過ぎ。チェックインとイミグレを済ませ、約1時間、ラウンジでのんびりする。ここにあったマトンの小籠包がまずく、口に獣の臭いがずっと残ってしまい悩まされた。

人生初のアエロフロート・ロシア航空

Aeroflot Russian Airlines B757-200 Business Class (Ulaanbaatar-Moscow) #theta360 – Spherical Image – RICOH THETA

人生初のアエロフロート。ボーディングブリッジを渡ると「ズドラストビーチェ!(こんにちは)」とロシア語であいさつされて、おおお!と胸が高まる。キャビンアテンダントは、オレンジ色の制服を身にまとい、胸にはソ連時代から変わらない、鎌とハンマーのロゴが入っている。フライトは6時間ほど。朝食を食べた後に室内が暗くなった。朝早かったこともあり、そのまま寝ると、起きたころにはもう残り40分でモスクワに着くというタイミングだった。

飛行機の窓から見える建物は、どれも長方形で、シンプルな造りだ。ソ連時代の建物だろうか?そうこうしているうちに着陸した。イミグレでは、インド人や中国人が、書類不備か何かで、後回しにされている。「次!」と首を振られて並ぶと、写真と顔を3度見された。たしかに8年前の写真だし、あの頃より15キロほど太ってはいるが、そんなに怪しいだろうか?

バゲージクレーム前の両替屋で1ドル48ルーブル。このレートが高いのか低いのか分からず、100ドル両替して4800ルーブルを得た。市内に出ると58ルーブルで、だいぶぼったくられてしまった。

トランジットビザでロシア入国。アエロエクスプレスで、モスクワ市内のベラルーシ駅へ移動した。ウランバートルとは異なり、洋風建築のおしゃれな都市、という印象を受けた。案内板に沿って、地下鉄駅へと向かう。百貨店のような立派な建物に「M」のロゴが入っている。1930年代に完成した地下鉄は、これまた宮殿のようで、レーニンの胸像も置かれていた。

エスカレーターは都営大江戸線より地下深くまで伸びている。数分は乗っていたのではないか。コンコースにもシャンデリアが並んでいる。後から調べて知ったが、なぜここまで立派な建築にしたかというと、ソ連は革命で生まれた国なので「革命は成功している」と、市民にアピールするために過度に立派な建築にしていたらしい。もちろん、アメリカに対抗する意図もあったそうだ。2つとなりのテアトルスカヤ(劇場前駅)で降り、赤の広場へ。

レーニン廟には行列ができており(予想はしていた)が、さらに荷物預け所にも膨大な行列ができていて、半日観光で待ち時間をとられるのは得策ではないと考えて、あきらめることにした。もし次回モスクワに来ることがあれば(もちろんその時はサンクトペテルブルクもセットで)ホテルに荷物を置いて、手ぶらで観光してみたい。

モスクワの赤の広場は、軍事パレードの開催場所で知られ、特に冷戦時代は、ソ連の最新兵器を分析したり、観閲するお偉方の席順で政治的序列を占ったり、西側にとっても象徴的なエリアだったらしいけど、「行進する側の視点ではどう見えるのか」が気にしながら、石畳を歩いてみた。あいにくの雨で石畳は濡れていて、滑りやすかった。この道であのマーチングできるのはすごい。

・1駅となりのロシア近代史博物館へ。帝政ロシアの末期から現代にかけての紹介。日露戦争に意外にも面積を割いているのが意外だった。ヨーロッパの風刺画として有名な「列強にけしかけられて熊に立ち向かう日本」。逆に日本が化け物にされて描かれているものもあった。プロパガンダとはこういうものだ。

・血の日曜日事件のフロアはさらに広く、無力の市民が撃たれたシーンを鮮明に描写していた。残念なことに1917年の革命から1945年の戦勝までは展示改装中で見ることが叶わなかった。次のフロアは、1960年代の冷戦時代の描写から始まり、ソ連がいかに経済的に豊かだったか、という内容だった。宇宙飛行士のユニホームや、キューバ危機で撃墜したアメリカU2の破片などが展示されていた。

・ソ連の崩壊を、どう描くのか。それが一番の興味だった。「1980年代からソ連は自国内に様々な問題を抱えるようになった。それは経済的、民族的なもので、危険をはらんでいった」という導入から始まり、ゴルバチョフが進めたペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)の内容などが紹介されていた。一方で、ソ連国内の民族主義を抑えることができず、国内の政治勢力が分裂する中、クーデターを招いてソ連そのものがなくなってしまうところまで、映像を踏まえて紹介されていた。

・エリツィンの時代に起きた様々な混乱と対照的に「今日のロシア」というエリアでは、プーチン政権がいかにうまくいっているか、という胡散臭い政治宣伝になっていた。科学技術でリード(宇宙開発ではたしかにそうだが)し、ソチ五輪のユニホームや聖火トーチなども展示されていた。この4年後に、薬物問題で国家代表として出場が認められなかったことの説明はなかった。実に都合の良い解説だった。

・3時間前にシェレメチェボ空港に戻った。自分が出発するターミナルBは最も古く、モスクワ五輪の際に建設されたものらしい。人々は行列を抜かすし、カウンターはいい加減だ。預け荷物もないので、このカウンターを無視して、イミグレーションに並んだ。何かを聞かれたが「Pardon?」と返すと、何も言われずにスタンプを押された。本当にいいかげんな国である。

・もっといい加減だったのは、この後のセキュリティーチェックだ。レーンが1つしかなく、金属探知機の前に50メートルほどの行列ができている。20分ほど待たされただろうか。金属探知機は、人々がコンベアに荷物を乱雑に置き、誰が誰の所有物かもわからない。係員もディスプレイでチェックまでしていないように感じた。もちろん、スマートフォンやPCの取り出しもない。こんなスカスカな警備で、他社便にトランジットされたらたまったものではないだろう、と思った。

・シェレメチェボ空港、直近の出発便がぜんぶ遅れていて、嫌な予感しかしない。市内では何も起こらずに済んだけど、去る間際にロシアの洗礼を受けているような感じがする。自分の乗る便も、ターミナルFからDに変更になって、10分ほど空港内で迷子に。ロストバゲージしませんように…と祈る。

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