withコロナの時代のポカリスエットのCMについて考える

 おそらく大塚製薬は、10代のインサイト(心を動かすツボ)を分析するために、莫大なお金と時間をかけているはずで、キーパーソンが宣伝部にいるのか、あるいは代理店にいるのか、個人的にすごく気になる。

 昨年のカロリーメイトのCMなんかは大学受験がテーマで、YouTubeの検索エンジン対策(アップロード時にキーワードを埋め込んでヒットしやすいようにしておく)も神がかっていて、「早稲田」「慶應」などと検索するとCMが候補に出てくるようになっていた。マーケティングをかじり始めた身として本当にすごいと思う。

 今夏のポカリスエットのキャンペーンは賛否両論があるようで「青春はこういうものだと押し付けられている」といった感想をTwitterやヤフコメなどで見かけた。「それはお前がターゲットじゃないということだ」に尽きる気がしたけど、もしかすると、その違和感自体、計算されたものなんじゃないか、という気がした。

 違和感があるのは当たり前なのだ。この夏、誰もこんな青春を送れていないからだ。事実、歌詞にも「起立・礼・着席が当たり前だと思っていた」「帰宅の遠回りもなくなってから気づいた」という趣旨の内容があって、「思い描いていた青春を送れていないよね?」とわざと突き付けている感じがあるし「このまま終わるわけにはいかない」という気持ちにもさせる。

 この夏を過ごす10代は本当に気の毒で、部活の大会が中止になって練習に打ち込む理由も見出せないし、思い描いていたような生活をコロナウイルスのせいで送れずにいる。せめてポカリスエットを飲めば、こういう青春の一員になれるんじゃないか――。そう思わせるように仕向けているのかなと。

陰キャだった人が嫌悪を抱く必要はあるのか?

 心理学では「考えたくないように仕向ける」というのが、そのことを一番考えさせる方法だったように記憶していて、青春と向き合わざるを得なくなるから、アンチコメントも多いのではないかと。耳すまや秒速5センチを見て鬱になる人が出てくるのと、まあ変わらない現象だろう。

 誰もがこんなスクールカーストの高い運動部員や吹奏楽部員をやっている/いたわけではないし、楽しそうな陽キャに見えるので、陰キャを自覚する人には嫌悪感もあるのだろうけど、大人になって振り返ると10代の記憶って必ずしも楽しいことばかりではないし、つらかったことも含めて最終的に51:49ぐらいで、まぁギリギリ笑っていられるようなものなのかな?と思ったりする。陽キャに見える運動部出身者だって、高3の夏の引退試合で初戦敗退してずっとトラウマを抱えていたりするのだ。

 個人的にすごく好きなのは、特に冒頭のカット。格子状のオンライン画面が浮き上がってきて、6×6=36人の高校生がそれぞれ異なったユニホームを着て、マスの上で踊っている(ソーシャルディスタンスかな?)。一方的に解釈しすぎかもしれないけど、いまZoomなどの小さな画面でしか集えない10代の若者たちは、本当はこれだけの個性を爆発させているのだというメッセージにも感じた。

 いずれにしてもパンデミックの起きた2020年の夏に、日本の10代の若者たちがどういうことを考えていると企業や代理店側が分析していたのか、という観点でこのCMは後世の資料になる気がした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です