土管を抜けるとそこはピーチ城だった…スーパーニンテンドーワールドにロクヨン世代が感激したこと

やっと正式オープンした!

スーパーニンテンドーワールドは土管から入るという設定

新型コロナウイルスの蔓延による二度の延期を経て、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)に今月グランドオープンした、スーパーニンテンドーワールドに行ってきた。もう本当に待ち遠しくてしょうがなかった。行って数日経って考えたことを記してみる

新エリアは、すでにYouTubeなどに動画が上がっている通り、ジュラシックパークからウォーターワールドに向かう辺りから小道を入って、土管を抜けて入場するようになっている。25年前に発売されたスーパーマリオ64で育った世代にとって感激なのは「土管を抜けるとそこはピーチ城の中だった」という最初のストーリー設定なのかな、と。

土管を抜けると、ピーチ城に自分がいることが分かる

初めてコントローラーにボタン以外の3Dスティックなるものが生まれて、慣れるまで苦労したコース1の「ボムへいのせんじょう」の絵がちゃんと飾ってある。まさに子どもの時に夢みた世界に自分が来ていることが分かって、ちょっと泣きそうになる。このストーリーの設定に、どこまでコンセプトが練られているのか?がとても気になった。

というのもマリオ64だと、ピーチ城は各コースにつながる結節点で、隠されたスターを取り返した、またはライフゼロになって死んだ場合に「戻ってくる」場所だけど、もし「ゲームをプレイした子ども時代に戻ってくる」みたいなコンセプトまで埋め込まれているとしたら、拍手を送りたいなと…。

なので逆にエリア外に出るためには、やはりピーチ城を介して退場することになるけど、これも捉え方によっては、我々の生きている現実世界もピーチ城から行けるコースの1つなんじゃないか(つまり現実もゲームだと思って楽しめばいいし、ライフゼロになった時はいつでも戻ってくればいい)と思えるのがエッセンスかなと。

スプラッシュマウンテンのあれも

ふと思い出したのがディズニーのスプラッシュマウンテンで、あれはうさぎどんが笑いの国を探しに旅に出て、生まれ故郷のいばらの茂みこそが笑いの国だったと気づくというオチだけど、滝に落ちてジッパディドゥダーが流れて、ボートを降りる手前に「Still Laughin'(まだまだ笑って)」という看板があって。

公式な説明はないけど、あれもファンがさまざまな解釈をしていて、うさぎどんが今いる場所こそが幸せなのだと気づいたように「このアトラクションが終わった後も、あなたの住む場所で幸せを見つけて笑って」という意味にも取れるというのが素敵だなと、そんなことを思い出したのだった。

USJはコスプレ姿のゲストさんも多いけど、ニンテンドーワールドにもグリフィンドールの寮生がいたり、ホグワーツ城にマリオやルイージがいたり、それぞれの世界観がカオスになっているのが面白かった。