一夜明けて12月31日(大晦日)
ニューイヤーカウントダウン、どうせなら最前列で見たいと思い、15時すぎにキオスクと食料で新聞を買って、ビクトリア・ハーバーを見渡せるフェリー乗り場近くに、地面に敷いて場所取りをした。
17時ごろ、中国人の4、5人の男女グループが話しかけてきた。
もちろん何を言っているのか分からない。彼らもグループで「この人伝わらんわ」というようなやりとりをしている。とっさに思いついて、スマホの翻訳アプリを差し出して喋ってもらうと、「席を譲ってくれ」ということだった。
もしかして、前に座らせろ、という意味だろうか?
と思ったのだけど、翻訳のミスかもしれない。悪意があるわけではないと思って「無問題」(この発音は知っていた)と言って、後ろに座ってくれた。持ち寄った惣菜などを開け始めて、宴会が始まった。
あやしいものをもらった
しばらくして、グループの女の子が、エイリアンの腕のようなものをくれた。
何を言っているか分からないが「あなたも食べなよ」とを言っているのだと思う。見よう見まねでしゃぶると、醬油風味で、味は悪くない。また翻訳アプリを使うと、アヒルの脚らしい。そのままボリボリと食べると、中国人たちが笑った。どうやら、骨は吐き出すものだったらしい。
19時すぎから山手線みたいに
人がどんどん後ろに押し寄せて、19時すぎには座れなくなった。
この頃から、ちょっとトイレに行きたくなっていた。せっかく陣取った場所だし、この混雑具合だと、一度離れたら戻れないだろう。荷物を置いてトイレに行ったとしても、荷物を盗まれるかもしれない。もう少しだけ我慢しよう。
20時に、日付変更線に近い国の新年を祝って1回目のカウントダウン。
「十!九!八!七!六!五!」
群衆が歓声を発するたびに人混みが前後に揺れる。ところが、この頃自分はもう青ざめていた。膀胱が限界に達しようとしていた。昼にビールなんか飲むんじゃなかった。人生でここまでトイレを我慢していたことはなかった。
尿意を我慢しすぎると人間どうなるのか
極限状態になると、走馬灯のようなものが巡ってくる。
小さい頃に、渋滞の高速道路の車で「トイレ…」と言って、親に怒られたのを思い出した。あれは理不尽だった。怒られたからと言って、我慢できるものではない。運転手の父親が「我慢できなかったらそこの路側帯で済ませ」と言う。だが、子どもながらに自尊心はある。他の車から丸見えのところで用など足せない。今も同じ状況にある。
21時ごろになると、群衆のハイテンションとは裏腹に無言になっていた。
「知人がいるわけでないし、漏らしてもいいか」「年に1度の100万ドルの夜景にはかえられない」とまで思うようになっていた。ちょうどその時だった。(香港では有名と思われる)アイドルが会場で生中継を始めた。みんなキャーキャー言っている。このタイミングだったら、どさくさに紛れて漏らしてもバレないかもしれない。人間の尊厳との戦いになっていた。
ところが、このアイドルのおかげで「道は開けた」のだった。
アイドルが歩いていく方向に、みんなスマホをかざし、かろうじて移動できるだけの空間が生まれていたのだ。涙目になりながら、その空間を縫うように100mほど先にある仮設トイレに向かった。仮設トイレではさらに30分ほど並び、ちょっと押されるたびに敏感になりながら、どうにか人間であり続けた。
もう、この場所から年を越すしかないのだろうか。
用を足したあと、場所取りに失敗した敗北感を味わっていたが、いちかばちか、戻れる場所まで戻ってみることにした。「エクスキューズミー」と言いながら、群衆をかき分けて前に進む。すると、群衆の1人に「割り込むな」というようなことを言われた。「あそこが自分の場所だ」と、最前列を指差すが、言葉が通じず「そんなわけないだろ」という感じで分かってもらえない。
その時だった。夕方にアヒルの脚をくれた中国人グループの女の子が「こっちだよ!」という感じで自分に手を振ってくれた。
「ほら、あれは私の友人だよ!」と英語で言って、先に通してもらった。「よく帰ってこれたねえ」というような表情をして迎えてくれた。手を振ってくれた女の子が「でも最前列は私だからね」と主張してくる。まあいいか。
いろいろあった2018年だったけど、年の最後に人間を信じることができてよかった。