「ウ〇コさせてくれないか」がホームステイ先のマサイ族に伝わらなかった話【アフリカ・ケニア】

今回の旅
大学1年の2009年8月、大学のスタディツアーに申し込んでケニアに2週間滞在し、マサイ族の家にホームステイした時の記録です。(2021年8月更新)

大学1年の夏にスタディツアーに参加してマサイ族の家にホームステイした話【アフリカ・ケニア】

ケニアの愛飲料「チャイ」をいただく

鍋でつくるミルクティー

 チャイは、水とミルクを煮立たせてから、茶葉を鍋にパラパラと振りかける。色が変わり、香り付いたところで砂糖を加え、こし器にかけて、マグカップでいただく。

 お菓子などを持ってきていなかったので、このチャイの糖分が疲れを癒してくれた。だが、疲れが癒されてくると、だんだん「これは飲んでも大丈夫なのか」というようなことが頭をよぎる。

 到着当日、自分用の水や食料は、マサイのお母さんに渡した。おみやげだと思われたのか、大切にしまわれてしまった。とすると、これは現地の水ではないか……? 肝炎や腸炎などが頭によぎるが、時すでに遅し。

この水はどこから…

 後から分かったことだが、水は数キロ離れた井戸まで汲みに行っているものだった。現地の人間が飲めているのだから問題ないのかもしれないが、この井戸、ロバやウシも顔を突っ込んでいる。

 食とともに、人間として生きる以上、切り離せないのが排泄である。ケニアに入国して数日間、提供されたものを食べて下痢をしたこともなかったが、気持ちが緩んで腹も緩んだのか、朝食後、わりと勢いのある便意がやってきた

 英語の通じないマサイのお母さんに「トイレはどこ?」と聞きたくてガイドに通訳をお願いすると、通訳するまでもなく「家の裏ですればいいじゃないか」と返された。それもそうだと思った。

外でウ〇コしようとしたら…

 ところがだった。ホームの裏に行こうとすると、子どもたちがキラキラした目で追いかけてきた。見たことも会ったこともない国の人が泊まりに来たら、そうなるのは分かる。笑顔の子どもたちが追いかけてくる光景は、まるでユニセフの親善大使になったかのようだった。黒柳徹子か自分は。

人懐っこいマサイの子どもたち

 こちらは腹が痛いのである。不思議なもので、人間、ウ〇コを我慢しすぎると、飛鳥時代の仏像のアルカイックスマイルというか、妙な笑みがこぼれる。目の前にいる子どもたちは英語は通じない。

 ホームステイ先で受けた初の「文化の壁」は、子どもたちに「ウ〇コさせてくれないか」と伝える術がなかったことだった。

 とにかく、1秒でも早く用を足したい。とっさの思いつきで、渋い顔をしてお腹を左右にさするようなジェスチャーを続けてみた。

 「なんだこの人、ウ〇コしたいのか」というようなことを、子どもたちが共有したようで、生まれて初めてのボディランゲージはやっと伝わった。ようやく解放されて、小屋から100メートルほど離れたアカシアの木の下でズボンを下げた。

ずっとついてくる子どもたち

 便意がおさまってやっと、周囲の景色を見渡す余裕ができた。こんな壮大なトイレは初めてだし、もう二度とないに違いない。

 そんな感慨に浸っていると、遠くから子どもたちの笑い声が耳に入ってきた。視力0.9ぐらいの私には分からないが、みんなでこちらを向いて笑っているらしい。ここで思い出した。マサイ族は視力がいいのである。あっちからはすべて丸見えだったのだ。

 そのうち、小学生ぐらいの男の子が1人走ってくるではないか。こちらはまだズボンを下げてしゃがんでいる状態で、無防備きわまりない状態だ。どうすればよいのか。そのままの姿勢で迎えると、あるものを差し出してくれた。

 トイレットペーパーだった。

伝統儀式「割礼」でマサイ族は痛みとどう向き合うのかホームステイ中に聞いてみた話【ケニア・アフリカ】